式のものは、やがて、近松の出て来る暗示を見せてゐるのであるが、さういふ側が更に「歌説経」に進んだのである。
説経は平家を生み、平家は説経を発達させた。現に、北九州の盲僧|所謂《いはゆる》師の房[#「師の房」に傍線]らの弾くものには、経[#「経」に傍線]があり、説経があり、くづれ[#「くづれ」に傍線]があり、其説経には、重いものとくづれ[#「くづれ」に傍線]に属するものとがある。そして、幸若流の詞曲が重いものとなつてゐる。盲僧の妻は瞽女であるが、盲僧の説経や平家に対して、瞽女は浄瑠璃を語るのが、本来であつたらしい。
説経は本地を説き、人間苦の試錬を説いて、現世利益の方面は、閑却してゐた。其で、薬師如来の功徳を述べる、女の語り物の説経が出来た。女には、正式な説経は許されてゐなかつた為もあらう、浄瑠璃と言ふ様になつた。薬師如来は、浄瑠璃国主だから、幾種もの女説経を、浄瑠璃物語と称する様になつた。
其以前、曾我物語は瞽女の語り物になつてゐた。「十二段草子」は、浄瑠璃として作られた最初の物だとは言はれまい。此草子自身も、新しい改作の痕が見えてゐて、決して初稿の「十二段草子」とは言へなさゝうである
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