どの影響から素語りの傾向を発達させた。そして物語講釈や、素読みが、何時か軍談のもとを作つて居た。口語りの盛衰記や、かけあひ話の平家や、猿楽の間語《アヒダガタ》りの修羅などが、橋渡しをしたらしい。盛衰記は幸若を経て、素語りを主とする様になり、太平記にも及んだ。此が、戦国失脚のかぶき者[#「かぶき者」に傍線]などに、馴れた幸若ぶし[#「幸若ぶし」に傍線]などで語られて、辻講釈の始めとなつたのである。
釜神の本縁を語り、子持ち山の由来・諏訪本縁を述べたりする説経の、既に、南北朝にある(神道集)のは、平安末の物と違うて来た事を見せ、荒神供養や、産女守護・鎮魂避邪を目的とする盲僧の所為であつたことを見せるのか。
浄土派の説経の異色のあるのは、安居院《アグヰ》流のだからであらう。浄土の念仏聖は此説経を念仏化して、伝道して歩いたらしく思はれる。たとへば、大和物語に出た蘆刈りの件「釜神の事」の様なものである。其が、沖縄の島にさへ伝へられ、奥州地方にも拡つてゐる。
大体、近松の改作・新作の義太夫浄瑠璃の出現は、説経と浄瑠璃との明らかな交迭期を見せてゐる。一体、説経にも旧派のものと、新式の物とがあつて、新
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