説経と浄瑠璃と」は中見出し]

念仏聖の多くは、放髪にして禿《カブロ》に断《キ》つたものである。剃つたものは、法師・陰陽師であつた。だが、禿《カブロ》即、童髪《ワラハガミ》にした「童子《ドウジ》」ばかりであつたわけではない。寺奴にも段階があつて、寺主に候ふ者・剃髪を許された者・寺中に住める者・境外|即《すなはち》門前或は可なり離れた地に置かれて居た者などがある。其最下級の者が、童子村の住民であつた。此階級の人々は、念仏宗の興立と共に、信仰の上にまで、宿因・業報だとばかり、あきらめさせられてゐた従来の教理から解放せられた。だから、高野は勿論、叡山其他寺々の童子は、昔から信仰に束縛のなかつた慣例から、浄土・一向・融通・時衆などに趨《おもむ》いた。
処が、平安末の念仏流行の時勢は、公家・武家にも多くの信者を出したと同時に、寺に居て、寺の宗義を奉じながら、一方新しく開基せられた念仏宗を信じた僧さへ出て来た。洛東|安居院《アグヰ》は、天台竹林院派の道場で著れてゐた。其処に居て、安居院《アグヰ》法師と称せられた聖覚《セイカク》は、天台五派の一流の重位に居ながら、法然上人の法弟となり、浄土宗の法統
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