菩提すゝめの懺悔文から影響せられてゐる様だ。寧、山伏しは祭文のおどけ[#「おどけ」に傍線]に富んだ処へ、男女念仏衆のさんげ[#「さんげ」に傍線]種を、とり込んだのであらう。さうして、もつと明るく、浮き立つ様なものにしたのではないか。色祭文・歌祭文など、皆ちよぼくれ[#「ちよぼくれ」に傍線]となり、あほだら経[#「あほだら経」に傍線]となるだけの素地を見せて居た。祭文には「さんげ念仏」と共通のさんげ[#「さんげ」に傍線]の語句があつた。さうした処から次第に念仏に歩みより、遂には、山伏しの手を離れて、祭文語りの側に移つたらしい。
歌比丘尼は、悪道苦患の掛軸を携へて、業報の贖《あがな》ひ切れぬ事を諭す絵《ヱ》解きを主として居た。其が段々変化して、石女《ウマズメ》の堕ちる血の池地獄のあり様、女の死霊の逆に宙を踏んで詣る妙宝山の様などをも謡ふ様になつた。
其に対して、歌順礼は、主として成年戒得受以前に死んだ者の受ける悩みを、叙事詩や、短詩形の短歌で謡うた。此は熊野の歌占巫女《ウタウラミコ》から胚胎したのであらう。三十三所の順礼歌の最後が「谷汲」であり、さんげ念仏[#「さんげ念仏」に傍線]の小栗転
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