ぎ[#「ことほぎ」に傍線]・禊ぎ・厄よけ・呪咀などを行ふ唱門師《シヨモジン》もあつた事は疑ひはない。此方面に進んだものは、最自由にふるまうた。
此山ぶし[#「山ぶし」に傍線]・野ぶし[#「野ぶし」に傍線]と言ふ、平安朝中期から見える語には、後世の武士の語原が窺はれるのである。「武士《ブシ》」は実は宛て字で、山・野と云ふ修飾語を省いた迄である。此者共の仲間には、本領を失うたり、郷家をあぶれ出たりした人々も交つて来た。党を組んで、戦国の諸豪族を訪れ、行法と武力とを以て、庸兵となり、或は臣下となつて住み込む事もあつた。そして、山伏しの行力自負の濫行が、江戸の治世になつても続いた。諸侯の領内の治外法権地に拠り、百姓・町人を劫《おびや》かすばかりか、領主の命をも聴かなかつた。其為、山伏し殺戮が屡《しばしば》行はれてゐる。
叡山を中心にした唱門師の外に、高野山も亦、一つの本部となつてゐた。苅萱|唱門《ソウモン》など言ふ萱堂聖以外に、谷々に童子村が多かつた。高野聖、後に海道の盗賊の名になつたごまのはひ[#「ごまのはひ」に傍線]なども、此山出の山伏し風の者であつた。
今も栄えてゐる地方の豪族の中には、
前へ
次へ
全137ページ中102ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング