争《モノアラソ》ひ」に負けた神として、威力を失うても、他郷に出れば、新来《イマキ》の神として畏れ迎へられるのである。どうしても、団体亡命の事情が具つて居た訣である。
国々の語部の物語も、現用のうた[#「うた」に傍線]に絡んだものばかりになり、其さへ次第に頽《すた》れて行つたらしい。わりに長く、平安期までも保存せられたものは、其国々の君が宮廷に奉仕した旧事を物語つて「国ぶりうた」の本《モト》を証し、寿詞同様の効果をあげることを期する物語である。さうした国々は、平安中期には固定してゐた。其事情は、色々に察せられるが、断案は下されない。
古くは、数人の語部の中、或は立ち舞ひ、或は詠じ、或は又其本縁なる旧事を奏するものなどがあつたであらう。
後期王朝中期以後には、物語は大嘗祭にのみ奏せられた。「其音|祝《ノリト》に似て、又歌声に渉《ワタ》る」と評した位だ。語部は、宮廷に於てさへ、事実上平安期には既に氓《ほろ》びて、猿女《サルメ》の如きも、大体伝承を失うて居た。まして、地方は甚しかつたであらう。唯語部と祝師《ノリトシ》との職掌は、分化してゐる様でしてゐない有様であつたから、祝師(正確に言へば、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線])には物語が伝つて居たのである。
ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の国まはりの生計には、ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]の外に、諷諭のことわざ[#「ことわざ」に傍線]及び感銘の深い歌が謡はれ、地の叙事詩が語られる様になつたと見られる。其演奏種目が殖えて行つて、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]・ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]よりも、くづれ[#「くづれ」に傍線]とも言ふべき物語や狂言・人獣の物まね・奇術・ふりごと[#「ふりごと」に傍線]などがもてはやされた。此等は、奈良以前から既にあつた証拠が段々ある。
平安朝になると、一層甚しく、祝言職と言へば、右に挙げたすべての内容を用語例にしてゐたのである。平安朝末から鎌倉になると、諸種のほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]・くゞつ[#「くゞつ」に傍線]は皆、互に特徴をとり込みあうて、愈複雑になつた。ちよつと見には、どれが或種の芸人の本色か分らなくなつた。「新猿楽記」を見ると、此猿楽は恐らく皆、千秋《センズ》万歳の徒の演芸種目らしく思はれる。其中には、千秋万歳系統のほかひ[#「ほかひ」に傍線]の芸は勿論、神楽の才の
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