とわざ」に傍線]同様の呪力あるもの、或は氏・国の貴人として、知らねばならない旧事とせられて居た。
其成立の事情は、説話として、口頭対話式をとつたのも、奈良以前から既にあつたものと言うてよい。此が風土記などゝ別な意味で、国別に書き上げを命ぜられた事もあつたらしい。東歌・風俗の様なものは、奈良以前からあつたと考へてよい。だから歌物語は逸話の形をとつてゐた。中篇は家によつて書く形で、今考へられる形は、ある人物のある時期の間の事実を主としてゐるものだ。源氏物語は、歌物語と中篇小説とを併せた形である。
宮廷の女房文学では、かうまで発達したが、地方の伝承では、飛鳥末から段々、宮廷伝承に習合せられ、又は自身調子を合せる様になつて行つた。家々の纂記、後代の本系帳式の物や、国々の「語部物語」の説話化したのや、土地によつて横に截断した物を蒐集したりして、風土記の一部は編纂せられた。
出雲風土記には、語部の伝誦を忠実に書きとつたらしい部分が多いが、播磨のになると、大抵説話化して居たらしい書き方である。が尚、古い物語の口写しらしい処も見える。国は古くても、定住のわりに新しい里が多かつたのであらう。
一体、風土記に歌を録することの尠いのは、奈良人の古伝承信用の形式に反《そむ》いて居る。常陸の分は、長歌めいた物は漢訳するつもりらしいが、短歌やことわざ[#「ことわざ」に傍線]は、原形を尊重して記してゐる。此は短歌が文学化し始めた頃であり、枕詞・序歌・訓諭などが、短篇小説に近い物語・説話を伴うて居た為であらう。常陸のは、まづ文学意識の著しく出た地誌と言へる。
概して言へば、諸国・諸土豪の物語は、中央の宮廷貴族の伝承より、早く亡びたものと見てよからう。旧国造は、多く郡領に任ぜられて、神と遠のかねばならなかつた。さうした国や氏々は幸福な方で、早く滅された国邑の君を神主と仰いだ神人たちは、擁護者と自家存在の意義とを失うて了うたのである。此が、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]として流離した最初の人々であらう。神人は、大倭の顕《あき》つ神の宰《みこともち》たる国司等の下位になつた神の奴隷として没収せられ、虐使せられる風があつた様だから、どうしても亡命せねば居られなかつた地方もあつたであらう。
此等の民が、或は新地を遠国の山野に得て、村をなした例もある。此は奈良朝より古い事らしい。郷国では、神と神との「霊
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