線]に入らなかつた人の死後、其執念を散ずる方便には、新しい村が立てられた。在来の村に新しい名をつける事もあり、全く新しく村を構へさせる事もあつた。其村々には、必、死者の名、或は住み処などの称への、其人を思ひ出し易い数音を被せて名とした。此が、名代部《ナシロベ》又は子代部の発生である。
後には、つぎ[#「つぎ」に傍線]に入つた人にさへ、名代の村を作る様にもなつた。さうなると、子のない人々も亦、歿後の名を案じて、生前自ら名代部を組織する(一)。愛寵する人(子のない)の為に、死後は固より生前にも名代を与へる様になる(二)。(一)(二)の二つは子代部とも称せられた。
かうして見ると、名代部には荘園の淵源が伺はれるのみならず、古く既に、さうした目的さへ現れてゐたことが訣る。即、村を与へる外に、職業団体としての部曲《カキベ》、珍らしい才技《テワザ》・豊かな生産、村々・氏々から羨まれてゐる職業団体、或は分布区域の広い部曲などを授ける事がある。かうして、名代制度の中に、経済観念が深まつて行つた。
名代部は、国・村の君の上につぎ[#「つぎ」に傍線]のある様に、新しく出来た村なり、団体なりに、其人から始まつた新しいつぎ[#「つぎ」に傍線]を語り伝へさせるのが目的であつた。軽部《カルベ》は木梨[#(ノ)]軽[#(ノ)]太子の為に、葛城部《カツラギベ》は磐[#(ノ)]媛皇后の為に、建部《タケルベ》は倭建命の為に、春日部は春日皇后の為に立てられた名代・子代であつた。皆、美しく、苦しき、猛く、弛《ユル》さぬ、あはれな物語を伝承して居た。
子のない為に作つたのが、名代の原義ではなかつた。だから、其人に子孫のある時は、其地を私用して、一種の村君の生活をした。
つぎ[#「つぎ」に傍線]の第一義的効果は、死霊退散にあつたのだから、後|漸《やうや》く、つぎ[#「つぎ」に傍線]自身呪文の様な威力を持つて来た。即、君主・族長の人格的現実観が、其神格に対する畏敬をのり超えて了ふやうになると、其信仰威力を戻す為に、実証手段として、つぎ[#「つぎ」に傍線]の諷誦が行はれる。最正しい伝統によつて神格を享けてゐる人ゆゑ、其稜威は精霊・魂魄の上に抑圧の威力を発揮する。かうした畏怖を相手方に起させるものと信じた。其が更に、つぎ[#「つぎ」に傍線]を唱へるだけで、呪力が発動するものとの信仰を生んだ。
戦争も求婚も、元は一つ
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