と言ふ。
極めて古い時代には、主上或は村君は、不滅の人格と考へられて居る。だから、個々の人格の死滅は問題としない。勢《いきほひ》、つぎ[#「つぎ」に傍線]・ひつぎ[#「ひつぎ」に傍線]の観念も発達して居なかつたと見える。信仰の変化から神格と人格との区別が考へられる様になつて、始めてつぎ[#「つぎ」に傍線]が現れたのである。
奈良朝以前のつぎ[#「つぎ」に傍線]は、生の為でなく、死の為のものであつた。つぎ[#「つぎ」に傍線]につぎてられる[#「つぎてられる」に傍点]のは、死が明らかに認められた後であり、生死の別が定まるまでは、鎮魂式を行ひ、氏々・官司奉仕の本縁を唱へて、寿詞を奏する。此を、日本紀などには、後世風の誄《シヌビゴト》と解して書いて居るが、古代はしぬびごと[#「しぬびごと」に傍線]自体が、哀悼の詞章ではなかつた。外来魂が竟《つひ》に還らぬものと定まると、この世の実在でないと言ふ自覚を、死者に起させようとかゝる。死者の内在魂に対して、唱へ聴かす詞章がなくてはならぬ。此がつぎ[#「つぎ」に傍線]であつた。
此つぎ[#「つぎ」に傍線]と、氏々・官司の本事《モトツゴト》(略してこと[#「こと」に傍線]とも言ふ)とを混淆して、一列にしぬびごと[#「しぬびごと」に傍線]と称せられ、又宣命の形式のまゝで、漢文風の発想を国語でするしぬびごと[#「しぬびごと」に傍線]も出来かけた。即、つぎ[#「つぎ」に傍線]は鎮め葬つた上、陵墓の前で諷誦すべきものである。而も、其が夙《はや》くから紊《みだ》れて居た様である。名をつぎてられず[#「つぎてられず」に傍線]に消えて行く事は、死者の魂に、不満と不安とを感じさせるものと考へられ、内在魂を完全に退散させる方便としてのつぎ[#「つぎ」に傍線]の意義も出て来た。
主上・村君等のつぎ[#「つぎ」に傍線]が、次第に氏族の高級巫女なる后妃・妻妾・姉妹・女児を列し、宮廷で言へば、ひつぎのみこ[#「ひつぎのみこ」に傍線]更に継承資格を認められて居た兄弟中の数人を加へる様になつた。さうして更に進んで、多くの皇子女を網羅する様になつて行つたのだと言ふ事が出来る。主上・村君以外は、傍流をつぎて[#「つぎて」に傍点]なかつた時代には、其外の威力優れた人の為には、つぎ[#「つぎ」に傍線]こそなけれ、一つの方法が立てられてゐた。
威力あつて、つぎ[#「つぎ」に傍
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