を奏上した様に言うてあるが、此は本縁説明神話の常なる手落ちである。
善言・美辞を陳《つら》ねて、荘重な呪言の外形を整へ、遺漏なく言ひ誤りのない物となつたのは、此神の力だとする。此神を一に八意思金《ヤゴヽロオモヒカネ》[#(ノ)]神と言ふのも、さうした行き届いた発想を讃美しての名である。
こやね[#「こやね」に傍線]は、神或は、神子の唱へるはずの呪言を、代理者の資格で宣する風習及び伝統の発端を示す神名であり、諷誦法や、副演せられる呪術・態様の規定者とせられたのであらう。斎部の祖神と謂はれる天[#(ノ)]太玉[#(ノ)]命は、其呪術・態様を精霊に印象させる為に副演する役であつた。さうして、呼び出した正邪の魂の這入る浄化したところを用意して、週期的に来る次の機会まで、其処に封じ籠めて置く。此籠める側の記憶が薄れて、浄化する方面が強く出て、いむ[#「いむ」に傍線]・ゆむ[#「ゆむ」に傍線]・ゆまふ[#「ゆまふ」に傍線]・ゆまはる[#「ゆまはる」に傍線]など言ふ語《ことば》の意義は変つて行つた。斎部氏はふとだま[#「ふとだま」に傍線]以来と言ふ信念の下に、呪言に伴ふ神自身の身ぶりや、呪言の中、とりわけ対話風になつた部分を唱へる様になつたと見ればよい。呪言の一番神秘な部分は、斎部氏が口誦する様になつて行つた。天《アマ》つ祝詞《ノリト》・天つ奇護言《クスシイハヒゴト》と称するもの――かなり変改を経たものがある――で、斎部祝詞に俤《おもかげ》を止めてゐるのは、其為である。
中臣祝詞の中でも、天つ祝詞又は、中臣の太詔戸《フトノリト》と言はれてゐる部分である。此は祓へを課する時の呪言であつて、さうした場合にも古代論理から、呪言の副演を行ふ斎部は、呪言神の群行[#「群行」に傍線]の下員であつて、みこともち[#「みこともち」に傍線](御言持者)であつた、主神役なる中臣が此を口誦し、自ら威《イツ》の手で――これまた、神の代理だが、万葉集巻六の「すめら我がいつのみ手もち……」と言ふ歌の、天子の御手同時に神の威力のある手ともなると言ふ考へと同じく――祓への大事の中心行事を執り行うた――大祓方式の中の、中臣神主自ら行ふ部分――のである。斎部宿禰の為事が、段々卜部其他の手に移つて行つて、その伝承の呪言も軽く視られるやうになつてから、天神授与の由緒は称へながら、斎部祝詞は、神秘を守る事が出来なくなつた
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