のである。而も其呪力の根源力を抽象して、興台産霊《コトヾムスビノ》神――日本紀・姓氏録共にこゝと[#「こゝと」に傍線]と訓註して居るのは、古い誤りであらう――といふ神を考へて居る。さうして同じく、祝詞の神であつた為に、中臣氏の祖先と考へられたらしい天児屋《アメノコヤネ》[#(ノ)]命は、此神の子と言ふ事になつてゐる。むすび[#「むすび」に傍線]と言ふのは、すべて物に化寓《ヤド》らねば、活力を顕す事の出来ぬ外来魂なので、呪言の形式で唱へられる時に、其に憑り来て其力を完うするものであつた。興台《コトヾ》――正式には、興言台と書いたのであらう――産霊《ムスビ》は、後代は所謂|詞霊《コトダマ》と称せられて一般化したが、正しくはある方式即と[#「と」に傍線]を具へて行ふ詞章《コト》の憑霊と言ふことが出来る。
こやね[#「こやね」に傍線]は、興言台《コトヾ》の方式を伝へ、詞章を永遠に維持し、諷唱法を保有する呪言の守護神だつたらしい。此中臣の祖神と一つ神だと証明せられて来た思兼《オモヒカネ》[#(ノ)]神は、たかみむすび[#「たかみむすび」に傍線]の子と伝へるが、ことゞむすび[#「ことゞむすび」に傍線]の人格神化した名である。此神は、呪言の創製者と考へられてゐたものであらう。尤、此神以前にも、呪言の存在した様な形で、記・紀其他に伝承せられてゐるが、かうした矛盾はあるべき筈の事である。恐らく開き直つて呪言の事始めを説くものとしておもひかね[#「おもひかね」に傍線]によつて深く思はれて出来たのが、神の呪言の最初だとしたのであらう。即、天[#(ノ)]窟戸を本縁とした鎮魂の呪言――此詞章は夙《はや》く呪言としては行はれなくなり、叙事詩として専ら物語られる事になつたらしい。さうして其代りに物部氏伝来の方式の用ゐられて来たことは明らかである――を、最尊く最完全な詞章の始まりとしたものらしい。
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時に、日神聞きて曰はく「頃者、人雖[#二]多請《シバ/\マヲス》[#一]未[#レ]有[#下]若[#二]此言之麗義[#一]者[#上]也。」(紀、一書)
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請は申請の義で、まをす[#「まをす」に傍線]と訓むのは古くからの事である。申請の呪言に、まをす[#「まをす」に傍線]・まをし[#「まをし」に傍線]と言ふから、其諷誦の動作までも込めて言うたのだ。前々にも呪言
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