つた。
広い用法で言へば、日本古代詞章の中、わりに短い形の物は、鎮護詞章と其舞踊者の転詠――物語の歌から出た物の外は――から出て居ると謂うてよい程である。鎮護詞章は寿詞であるが、同時に、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]の発生を導いた内的動機の大きなものになつてゐる。中臣の職掌が益向上し、斎部がいはひ[#「いはひ」に傍線]・きよめ[#「きよめ」に傍線]の中心になる様になると、其わき[#「わき」に傍線]に廻るのは、卜部及び其配下であつた。さうして、広成《ヒロナリ》[#(ノ)]宿禰《スクネ》は、斎部の敵を中臣であると考へてゐた様に称せられるけれども、実は下僚の卜部を目ざしたのであつた。斎部の宮廷に力を失うた真の導きは、卜部の祭儀・祭文や、演出をもてはやした時代の好みにある。
斎部・卜部の勢力交迭は、平安朝前期百年の間に在る様だが、さうなつて行つた由来は久しいのである。陰陽道に早く合体して、日漢の呪法を兼ねた卜部は、寺家の方術までも併せて居た。かうして、長い間に、宮廷から民間まで、祭式・唱文・演出の普遍方式としての公認を得る様になつて来た。卜部は、実に斎部と文部との日漢両方式を奪うた姿である。
さて、唱導の語は、教義・経典の、解説・俗讃を意味するのが本義であるから、此文学史が宣命・祝詞の信仰起原から始めた事にも、名目上適当してゐる。が併し、其宣布・伝道を言ふ普通の用語例からすれば、卜部其他の団体詞章・演芸・遊行を説く「海部芸術の風化」以下を本論の初めと見て、此迄の説明を序説と考へてもよい。同時に其は、日本文学史並びに芸術史の為の長い引を作つたことになるのである。併し、私の海部芸術を説く為に発足点になるほかひ[#「ほかひ」に傍線]とくゞつ[#「くゞつ」に傍線]との歴史を説くのには、尚|聊《いささ》かの用意がいる。
[#5字下げ]五 物語と歌との関係並びに詞章の新作[#「五 物語と歌との関係並びに詞章の新作」は中見出し]
先づ呪言及び叙事詩の中に、焦点が考へられ出した事である。のりと[#「のりと」に傍線]で言へば地《ヂ》の文――第二義の祝詞に於て――即、神の動作に伴うて発せられる所謂天つのりと[#「天つのりと」に傍線]の類である。其信仰が伝つて、叙事詩になつても、ことば[#「ことば」に傍線]の文に当る抒情部分を重く見た。其がとりも直さず、うた[#「うた」に傍線]であり、其諷
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