にある。
だから、寿詞が多く行はれ、本義どほりののりと[#「のりと」に傍線]は、宮廷で稀に発せられるだけで、宮廷から下つたものを伝奏・宣下する以外には、のりと[#「のりと」に傍線]と言ふ事が許されなくなつた痕が見える。貴族・神人の伝承詞章は、のりと[#「のりと」に傍線]に這入るべきものでも、よごと[#「よごと」に傍線]と呼ぶ様になつて行つたらしい。かうしたよごと[#「よごと」に傍線]の分化に伴うて、のりと[#「のりと」に傍線]から分化して来たのが、いはひごと[#「いはひごと」に傍線](鎮護詞)であつた。だから、よごと[#「よごと」に傍線]であるべきものが鎮護詞《イハヒゴト》と呼ばれたり、又祝詞と呼ばれる物の中にも、斎部《イムベ》などのいはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]を多く交へてゐる訣である。宮廷のものは何でものりと[#「のりと」に傍線]であり、民間のものはすべてよごと[#「よごと」に傍線]と称へ、よごと[#「よごと」に傍線]の中にいはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]の分子が殖えて行つて、よごと[#「よごと」に傍線]と言ふ観念が失はれる様になり、そして、のりと[#「のりと」に傍線]に対するものとして、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]が考へられる様になつた。一般に言ふ平安朝以後の祭文である。だから神託とも言ふべき伝来のものはせみやう[#「せみやう」に傍線]・せんみやう[#「せんみやう」に傍線]など、宣命[#「宣命」に傍線]系統の名を伝へてゐるのだ。
かうして、伝統的によごと[#「よごと」に傍線]と呼ぶものゝ外は、此名目が忘れられて、よごと[#「よごと」に傍線]は、のりと[#「のりと」に傍線]の古い様式の如くにさへ思はれてゐる。此が寿詞をなのる祝詞にすら、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]と自称してゐるものゝある訣である。一つは、宮廷其他官辺に、陰陽道の方式が盛んになつて、在来の祭儀を習合(合理化)する事になつた為でもある。神祇官にすら、陰陽道系の卜部を交へて来たのは、奈良朝以前からの事である。其陰陽道の方式は鎮護詞《イハヒゴト》と同じ様な形式を採つた。固有様式で説明すると、主長・精霊の間に山人[#「山人」に傍線]の介在する姿をとるのである。祭儀も詞章も、勢ひかうした方面へ進んで行つた為に、文学・演芸の萌芽も、鎮護詞及び其演出の影響ばかりを自然に、深く受けなければならない様にな
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