まよひ[#「さまよひ」に傍線]を述べ、紐を云々する事の多いのは、皆、鎮魂式の祭儀から出て居る。極秘となつたまゝで失せた古代詞章から、其文句や発想法が分化して来たものと考へるのが、適当なのである。死後一年位は、生死を判定することの出来なかつたのが、古代の生命観であつた。さうした期間に亘つて、生魂《イキミタマ》を身に固著《フラ》しめようと、試みをくり返した。此期間が、漢風習合以前の日本式の喪《モ》であつたのである。
こふ[#「こふ」に傍線](恋ふ)と云ふ語の第一義は、実は、しぬぶ[#「しぬぶ」に傍線]とは遠いものであつた。魂を欲す[#「魂を欲す」に傍線]ると言へば、はまりさうな内容を持つて居たらしい。魂の還るを乞ふにも、魂の我が身に来りつく事を願ふ義にも用ゐられて居る。たまふ[#「たまふ」に傍線](目上から)に対するこふ[#「こふ」に傍線]・いはふ[#「いはふ」に傍線]に近いこむ[#「こむ」に傍線](籠む)などは、其原義の、生きみ[#「生きみ」に傍線]魂《タマ》の分裂《フユ》の信仰に関係ある事を見せてゐる。
だから恋歌は、後に発達した唱和・相聞の態を本式とすべきではない。生者の魂を身にこひ[#「こひ」に傍線]とる事は、恋愛・結婚の成立である。古代伝承には、女性と男性との争闘を、結婚の必須条件にして居た多くの事実を見せてゐる。死者の霊を呼び還すにも、同じ方法の儀式・同じ発想の詞章が用ゐられた。其為、万葉の如き後の物にすら、多くの挽歌が恋愛要素を含み、相聞に挽歌発想をとつたものを交へてゐるのである。恋歌分化後にも、類型をなぞる事は絶えなかつたからである。
氏々伝承の詞章から展開した歌詞の系統は、右の通り、随分後まで見える。其等の詞章は、大体におふせ[#「おふせ」に傍線]とまをし[#「まをし」に傍線]との二つの形に分れる。寿詞が勢力を持つ時代になると、おふせ[#「おふせ」に傍線]の影は薄くなり、大体まをし[#「まをし」に傍線]に近づく。奈良の宣命や、孝謙・称徳天皇の遣唐使に仰せられた歌(万葉)などを見ると、まをし[#「まをし」に傍線]の形が交つて来てゐる。此は神に対してとるべきおふせ[#「おふせ」に傍線]の様式が、神の向上によつて、まをし[#「まをし」に傍線]に近づいて来た事の影響である。平安の祝詞の悉《ことごと》くが、まをし[#「まをし」に傍線]式になつて了うた原因も、こゝ
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