が、早く芸能化して、鹿・蟹の述懐歌らしい物に変化して行つたのである。即《すなはち》鹿・蟹に対する呪言及び其副演の間に、当の田畑を荒す精霊(鹿・蟹を代表に)に扮した者の誓ふ身ぶりや、覆奏詞《カヘリマヲシ》があつたに違ひない。其部分が発達して、滑稽な詠、をこ[#「をこ」に傍点]な身ぶりに人を絶倒させる様な演芸が成立して居たものと思ふ。二首ながら、夫々《それぞれ》の生き物のからだ[#「からだ」に傍線]の癖を述べたり、愁訴する様を謳うたりして居る。又道行きぶりの所作――王朝末から明らかに見えて、江戸まで続いた劇的舞踊の一要素たる海道下り・景事《ケイゴト》の類の古い型――にかゝりさうな箇所もある。
古代の舞踊に多かつた禽獣の物まねや、人間の醜態を誇張した身ぶり狂言は、大凡《おほよそ》精霊の呪言神に反抗して、屈服に到るまでの動作である。もどき[#「もどき」に傍線]の劇的舞踊なのである。後世ひよ/\舞[#「ひよ/\舞」に傍線]と言はれる鳥名子《トナゴ》舞・侏儒《ヒキウド》の物まね(殊舞と書くのは誤り)なるたつゝまひ[#「たつゝまひ」に傍線]、水に溺れる様を演じる隼人のわざをぎ[#「わざをぎ」に傍線]――海から来る水を司る神、作物を荒す精霊との争ひの記憶が大部分に這入つてゐる――さうしたふりごと[#「ふりごと」に傍線]としての効果は、此二首にも、十分に現れて居る。
鹿・蟹が甘んじて奉仕しようとすると言つた表現は、実は臣従を誓ふ形式から発して来たものと解するがよい。私は此二首を以て、飛鳥朝の末或は藤原朝――飛鳥の地名を広くとつて――の頃に、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の祝言が既に、演劇化してゐた証拠の貴重な例と見る。尚此に関聯して言ひたい事は、呪言の副演の本体は人間であるが、もどき役[#「もどき役」に傍線]に廻る者は、地方によつて違つて居たことを言ひたい。其が人間であつたことも勿論あるが、ある国・ある家の神事に出る精霊役は、人形である事もあり、又鏡・瓢などを顔とした仮りの偶人であつたことも考へてよい根拠が十分にある。
此ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の歌の如きは、時代の古いに係らず、其先に尚古い形のあつて、現存の呪言に絶対の古さを持つものゝない事を示して居る。だが同時に、此詠から呪言の中に科白が生じ、其が転じて叙事詩中の抒情部分が成立し、又其独立游離する様になる事の論理を、心に
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