事が、表題の四字から察せられる。
更に本文に入つて説いて行くと、呪言とほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]と、叙事詩と歌との関係が明らかになる。「いとこ汝兄《ナセ》の君《キミ》」と言ふ歌ひ出しは「ものゝふの我がせこが。……」(清寧記)と言つた新室の宴《ウタゲ》の「詠」と一つ様である。又二首共結句に
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……我が身一つに、七重花さく 八重花|栄《ハ》ゆ(?)と、白賞尼《マヲシタヽヘネ》。白賞尼《マヲシタヽヘネ》
……我が目らに、塩塗り給《タ》ぶと、|時(?)賞毛《マヲシタヽヘモ》。時賞毛《マヲシタヽヘモ》
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とあるのは、寿詞の口癖の文句らしい。「鹿」の方の歌の「耆矣奴吾身一爾……」を橋本進吉氏の訓の様に、おいやつこ[#「おいやつこ」に傍線]と訓むのが正しいとすれば、顕宗帝の歌の結句の
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おしはのみこのやつこ[#「やつこ」に傍線]みすゑ(記)
おとひやつこ[#「やつこ」に傍線]らまぞ。これ(紀)
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と言ふのに当るもの、此亦《これまた》呪言の型の一つと言はれ、寿詞系統の、忠勤を誓ふ固定した言ひ方と見る事も出来る。
対句の極めて多いのも、調度・食物類の名の畳みかけて述べられてゐる事も、地名の多く出て来るのも、新室の寿詞[#「寿詞」に傍線]系統の常用手法である。建築物の内部に満ちた富みを数へ立て、其出処・産地を述べ、又其一つ一つに寄せて祝言を述べる方法は、後の千秋万歳に到るまでも続いた言ひ立て[#「言ひ立て」に傍線]である。而も二首ながら「あしびきの此|傍《カタ》山の……」と言つて木の事を言ふのは、大殿祭《オホトノホカヒ》や山口祭《ヤマクチマツリ》の祝詞と一筋で、新室祝言の型なる事を明らかに見せて居る。
室寿詞は、いはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]の代表形式で、すべての呪言が其型に這入つて発想せられた事実は証明する事が出来る。此二首なども元、農業の害物駆除の呪言から出たのであるが、やはり、室寿詞の定型を履《ふ》んでは居る。農村の煩ひとなる生き物の中、夜な/\里に出て成熟した田畑を根こそげ荒して行く鹿、年によつてはむやみに孵《かへ》つて、苗代田を螫み尽す蟹、かうした苦い経験が、此ほかひ歌[#「ほかひ歌」に傍線]を生み出したのである。元は、鹿や蟹(其効果は他の物にも及ぶ)に誓はす形であつた呪言
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