#「うたひ」に傍線]とを区別する様になつた。従つてうけひ[#「うけひ」に傍線]の場《ニハ》で当人の誦する詞が、うた[#「うた」に傍線]と言ふ語の出発点といふ事になる。尤、うたふ[#「うたふ」に傍線]ことの行為は前からあつたもので、其がうけひ[#「うけひ」に傍線]にうた[#「うた」に傍線]をうたふ[#「うたふ」に傍線]のが、其代表的に発達した形だつたからであらう。全体うた[#「うた」に傍線]と語根を一つにしてゐるらしい語には、悲愁・寃屈《ゑんくつ》・纏綿などの義を含んでゐるのが多い。
後世のくどき[#「くどき」に傍線]と言ふ曲節は此に当るもので、曲舞・謡曲時代から、抒情脈で縷述する部分の術語になつて居た。其が、近世では固定して、抒情的叙事詩の名称になつて、くどき[#「くどき」に傍線]と言へば、愁訴を含んだ卑俗な叙事的恋愛詞曲と言ふ風になつた。発生的には逆行してゐる次第である。一人称で発想せられてゐるが、態度は、三人称に傾いた地の文に対して、やはり叙事式の発想をしながら、くどき[#「くどき」に傍線]式に抒情気分を豊かに持つたものがうた[#「うた」に傍線]と見ればよからう。さうした古代の歌には、聴きてを予想してゐたらうと思はれる様な、対話式の態度が濃く現れて居る。
私は、叙事詩よりも呪言系統の物から、歌の発生の経路を見た方が、本義を捉へ易いと考へるから、一例として、万葉巻十六の「乞食者詠」について説明を試みたい。乞食者は祝言職人である。土地を生業の基礎とせぬすぎはひ人[#「すぎはひ人」に傍線]の中、諸国を流離して、行く先々でくちもらふ[#「くちもらふ」に傍線]生活を続けて居た者は、唯此一種類あつたばかりである。行基門流の乞食者が認められたのは、奈良の盛時に入つてのことである。だから、乞食者とは言ひでふ、仏門の乞士以後の者とは内容が違つてゐる。ほかひ[#「ほかひ」に傍線]によつて口すぎをして、旅行して歩く団体の民を称したのである。
詠は、うた[#「うた」に傍線]と訓みなれて来たけれど、正確な用字例は、舞人の自ら諷誦する詞章である。だから、いはひ[#「いはひ」に傍線]詞《ゴト》を以てほかひ[#「ほかひ」に傍線]して歩いた祝言職人の芸能に、地に謳ふ部分と、科白として謳ふ歌の部分とのあつた事が推定出来る。言ひ換へれば、此歌は劇的舞踊の詞章であつて、別に地謡とも言ふべき呪言のあつた
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