ビゴト》も同じ物で、其用途によつて別名をつけたまでゞある。氏々の誄《シヌビゴト》・百官の誄など奏したのも、或期間、魂の生死に弁別がなかつた為だ――にも共通の慣用句であつたらしい「現御神[#(止)]大八洲国所知食[#(須)]大倭根子天皇云々」と言ふ讃詞は、天子の神聖な資格を示す語として、賀正事から、此に対して発達したと思はれる詔旨(公式令)の上にも、転用せられて行つた。氏々の聖職の起原――転じては、臣従の由来――を説く寿詞(賀正事としてが、最初の用途)が、朝賀の折に、数氏の長上者《カミ》等によつて奏上せられる様になつてからは、其根元たる中臣寿詞は、即位式――古くは二回、大嘗祭にも――に奏上せられることに定まつて来たのである。
中臣氏の神のほ[#「ほ」に傍線]は、水であつた。初春の聖水は、復活の威霊の寓りとして、変若水《ヲチミヅ》信仰の起因となつたものである。天子のみ代《ヨ》替りを以て、日《ヒ》の御子《ミコ》の断えざる復活の現象と考へ、其を促す力を水にあるものと見たのである。ほ[#「ほ」に傍線]の原始に近い意義として、古典から推定出来るものは、邑落時代に持つて居た、邑落々々の守護霊――外来威力――の寓りと看做された形ある物及び現象であつた。ほ[#「ほ」に傍線]を提出する事が、守護の威霊を護り渡して、相手の威力・生活力を増させる訣である。ほ[#「ほ」に傍線]を示す即ほく[#「ほく」に傍線]動作が臣従を誓ふ形式になる所以である。
ほく[#「ほく」に傍線]が元、尊者から卑者にする事であつたのは、一方親近者の為に、威霊を分つ義のあつた事からも知れる。天照大神が、おしほみゝの命[#「おしほみゝの命」に傍線]――み子であるが、すめみまの命[#「すめみまの命」に傍線]と言ふ事は、語原及び其起原なる古信仰から見てさしつかへはない――の為に、手に宝鏡を持つて授けて、祝之《ホキテ》曰く、
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此宝鏡を視ること我を視るごとくなるべし。床を同《トモ》にし、殿を共にして斎鏡《イハヒノカヾミ》とすべし。(紀一書)
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と言はれたとも、「鏡劔を捧げ持ち賜ひて、言寿宣《コトホキノリ》たまひしく」(大殿祭祝詞)と言ふ様な伝へもある。此は、「己《オノ》が命《ミコト》の和魂《ニギタマ》を八咫鏡に取り託《ツ》けて」(国造神賀詞)など言ふ信仰に近づいてゐるのだ。威霊を与
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