は、一々知つて了ふ。思ひがけなくはね返した竹の輪や、炉火の為に敗亡して了うたと言ふ伝説が数へきれぬほどある。精霊に呪言を悟られぬ様にせねばならない。此をあべこべに唱へかけられると、精霊に征服せられるものと考へたらしい。神武天皇が、道臣[#(ノ)]命にこつそり策を授けて、諷歌倒語で、国中の妖気を掃蕩せしめられたと日本紀にある。悪霊・兇賊が如何に速かに呪言を唱へ返しても、詞どほりの効果しか無かつた。意想外に発言者の予期した暗示のまゝに相手に働きかけて、亡ぼして了うたのである。舌綟り、早口文句などが発達したのも、呪言の効果を精霊に奪はれまい為であつた。
山彦即木霊は、人の声をまねる処から、怖ぢられた。山の鳥や狸などにも、根負けしてかけあひ[#「かけあひ」に傍線]を止めると、災ひを受けると言ふ伝へが多い。呪言の効果が相殺してゐる場合、一つ先に止めると、相手の呪言の禍を蒙らねばならないのだ。
精霊と実際呪言争ひをする時はなかつたとしても、此畏れの印象する場合が多かつた。祭りの中心行事は、神・精霊の両方に扮した人々の呪言争ひが繰り返されるのであつた。国家時代に入つて、呪言から分化した叙事詩から、抒情脈の叙事詩なる短詩形の民謡が行はれる様になると、群行の神を迎へる夜遊びが、邑落によつては、斎庭に於て行はれた。神々に扮した村の神人と、村の巫女たる資格を持つた女たちとが相向き立つて、歌垣の唱和を挑んだ。最初はきまつた呪言や、呪言の断篇のかけあひ[#「かけあひ」に傍線]をしたのに過ぎなかつたのであらうが、類型ながら段々創作気分が動いて来た。此場の唱和に特別の才人でなければ、大抵苦い目を見てゐる。此が呪言争ひの体験である。又外の村人どうし数人づゝ草刈り・山猟などで逢へば(播磨風土記などに例がある)呪言のかけあひ[#「かけあひ」に傍線]が始まる。今も地方によつては、節分の夕方・十四日年越しの宵などに、隣村どうし、子どもなどが地境に出て、型どほり悪たいのかけあひ[#「かけあひ」に傍線]をする処もある。民間伝承には、此通り、呪言唱和の注意せられた印象が残つて居る。文学史と民俗学との交渉する処は大きいと言はねばならぬ。

[#5字下げ]四 奉仕の本縁を説く寿詞[#「四 奉仕の本縁を説く寿詞」は中見出し]

ほく[#「ほく」に傍線]はほかふ[#「ほかふ」に傍線]とも再活し、語尾が替つてほむ[#「ほ
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