寺の奴隷に数へられた。此徒には、海の神人の後なるくゞつ[#「くゞつ」に傍線]と、山人の流派から出たほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]とが混り合つてゐた。それが海人がほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]になり、山人がくゞつ[#「くゞつ」に傍線]になりして、互に相交つて了うた。此等が唱門師の中心であつた。舞の本流は、此仲間に伝へられたのである。
今一つ、山海の隈々に流離して、山だち[#「山だち」に傍線]・くゞつ[#「くゞつ」に傍線]など言はれた団体の女性は、山姥・傀儡女《クヾツメ》として、細かな区別は段々無くなつたが、前者は舞に長け、後者は諷誦に長じて居た。此等の流民の定住するに到るまで、久しく持ち歩いたうた[#「うた」に傍線]と其叙事詩と呪言とは、幾代かの内に幾度となく、あらゆる地方に、あらゆる文芸の芽生えを植ゑつけた。尤《もつとも》此等の二つの形式を併せ備へてゐる者もあつて、一概に其何れとは極《き》めて了ふことは出来ない。併し、其等の仲間には、常に多くの亡命良民と若干の貴種の人々とを交へて居たのは事実である。
此等の団体を基礎として、徒党を組んだ流民が、王朝末・武家の初めから、戦国の末に到るまで、諸国を窺ひ歩いた。さうして、土地或は勤王の主を得て、大名・小名或は家人・非御家人などの郷士としておちついた。
其位置を得なかつた者や、戦国に職を失うた者は、或は町住みして、部下を家々に住み込ませる人入れ稼業となり、或はかぶき者[#「かぶき者」に傍線]として、自由を誇示して廻つた。併し、いづれも、呪力或は芸道を、一方に持つて居た。かう言ふ人々及び其余流を汲む者の間から、演劇が生れ、戯曲が作られ、舞踊が案出せられ、小説が描かれ始めた。世を経ても、長く残つたのは、放蕩・豪華・暴虐・淫靡の痕跡であつた。
ことに、著しく漸層的に深まつて行つたのは、歌舞妓芝居に於けるかぶき味[#「かぶき味」に傍線]であつた。時代を経て、生活は変つても、淫靡・残虐は、実生活以上に誇張せられて行つた。他の古来の芸人階級は、それ/″\位置を高めて行つても、この俳優連衆ばかりは、江戸期が終つても、未だ細工[#「細工」に傍線]・さんか[#「さんか」に傍線]の徒と等しい賤称と冷遇とを受けて居た。此はかぶき者[#「かぶき者」に傍線]としての、戦国の遺民と言ふので、厭はれ隔離せられた風が変つて、風教を害《そこな》ふ
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