程誘惑力を蓄へて行つた為である。
又、都会に出なかつた者は、呪力を利用して博徒となり、或は芸人として門芸を演じる様になつた。
更に若干の仲間を持つた者になると、山伏しとして、山深い空閑を求めて、村を構へ、修験法印或は陰陽師・神人として、免許を受けて、社寺を基とした村の本家となつた。或は、山人の古来行うてゐる方法に習うて、里の季節々々の神事・仏会に、遥かな山路を下つて、祝言・舞踊などを演じに出る芸人村となつた。
わが国の声楽・舞踊・演劇の為の文学は、皆かうした唱導の徒の間から生れた。自ら生み出したものも、別の階級の作物を借りた者もあるが、広義の唱導の方便を出ないもの、育てられない者は、数へる程しかないのである。
[#5字下げ]七[#「七」は中見出し]
山人の寿詞・海部《アマベ》の鎮詞《イハヒゴト》から、唱門師の舞曲・教化、かぶき[#「かぶき」に傍線]の徒の演劇に到るまで、一貫してゐるものがある。其はいはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]の勢力である。われ/\の国の文学はいはひ詞[#「いはひ詞」に傍線]以前は、口を緘《とざ》して語らざるしゞま[#「しゞま」に傍線]のあり様に這入る。此が猿楽其他の「※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1−88−58]《ベシミ》の面」の由来である。其が一旦開口すると、止めどなく人に逆ふ饒舌の形が現れた。田楽等の「もどきの面」は、此印象を残したものである。其もどき[#「もどき」に傍線]の姿こそ、我日本文学の源であり、芸術のはじまりであつた。
其以前に、善神ののりと[#「のりと」に傍線]と、若干の物語とがあつた。而も現存するのりと[#「のりと」に傍線]・ものがたり[#「ものがたり」に傍線]は、最初の姿を残してゐるものは、一つもない。其でも、此だけ其発生点を追求する事の出来たのは、日本文学の根柢に常に横たはつて滅びない唱導精神の存する為であつた。
ほかひ[#「ほかひ」に傍線]を携へ、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]を提げて、行き/\て又行き行く流民の群れが、鮮やかに目に浮んで、消えようとせぬ。此間に、私は、此文章の綴《トヂ》めをつくる。
底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 国文学篇」大岡山書店
1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「日本文学講座 第三・四・一二巻」
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