生物語の小萩の居たのは青墓であつた。熊野と美濃との関係は閑却出来ぬ。
あひの山ぶし[#「あひの山ぶし」に傍線]は、和讃・今様から、絵解きに移り、更に念仏化したものらしい。男性のたゝき[#「たゝき」に傍線]の一方の為事になつて行く。
此たゝき[#「たゝき」に傍線]と言ふものは、思ふに「節季候《セキゾロ》」が山の神人(山人)の後身を思はせる如く、海の神人の退転したのではあるまいか。私は、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]の民の男性の、ほかひゞと[#「ほかひゞと」に傍線]の仲間に入つたものゝ末の姿だと思うてゐる。其以前の形は、あまの囀り[#「あまの囀り」に傍線]の様に、早口で物を言うて、大路小路を走る胸たゝき[#「胸たゝき」に傍線]であつた。此に対する女性は、姥たゝき[#「姥たゝき」に傍線]と言はれるものがあつた。此外にも、くゞつ[#「くゞつ」に傍線]の遊女化せぬ時代の姿を、江戸の末頃近くまで留めてゐたのは、桂女《カツラメ》である。あの堆《うづたか》く布を捲き上げた縵《カヅラ》は、山縵ではなかつた。

[#5字下げ]五 他界を語る熊野唱導及び念仏芸[#「五 他界を語る熊野唱導及び念仏芸」は中見出し]

聖の徒は、僧家の唱導文を、あれこれ通用した。説経の座にも、成仏を奨める念仏の庭にも、融通してゐる内に、段々分科が定まつて行つたらしい。
口よせ[#「口よせ」に傍線]の巫術は「本地《ホンヂ》語り」に響いた。此を扱ふのは、多くは、盲僧や陰陽師・山伏しの妻の盲御前《メクラゴゼ》や、巫女の為事となつた。熊野には、かうした巫術が発達した。初めに唱へられる説経用の詞章が、陰惨な色あひを帯びて来ないはずはない。
念仏踊りの源も、また大きな一筋を此地に発した。念仏の両大派の開祖の種姓は伝説化してゐるが、高貴の出自を信じることは出来ない。やはり単に、寺奴なる「童子|声聞身《シヨモジン》」の類であつたらしい。念仏の唱文に、田楽の踴躍《ユヤク》舞踊を合体させたものが、霊気退散の念仏踊りになつたらしい。田楽が念仏踊りの基礎となり、田楽の目的なる害虫・邪気放逐を、霊気の上に移したばかりなのを見ても、念仏宗開基の動機は、あまりに尋常過ぎて居る。自然発生らしい信仰が、開祖の無智な階級の出なる事を示して居るのである。
熊野念仏は、寺奴|声聞身《シヨモジン》から大宗派を興す動機になつた。熊野田楽のふり[#「ふり」
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