からであつた。漢種の人々の影響が具體的になつて來ると、益、海中の三仙山の壽福の姿が、常世の國の上に重つて來て、常世・仙山を接近させる樣になつた。平安朝の初期に、「標の山」の上に仙山を作つて、夫婦神を据ゑる樣にさへなつたのは、此信仰の混淆から來たのだ。
更に常世の國に就て、日漢共通の、而も獨立發生の疑ひのないものは、神婚譚がどちらにもついて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて居ることである。漢・魏・晉・唐の間の民間説話の記録なる小説は、宮廷祕事でなければ、神仙と高貴の人との媾遇を主題とした物が多い。
更に「楚辭」にも屈原の物すら、稍、此傾向のあるものがあるが、其末流なる宋玉・登徒子等の作物は、張文成の艶話の前驅とも言ふべき自敍傳體の、仙女又は貴女との交渉を記したものが多い。文成の物になると、日本・三韓あたりの念書人の鑑賞に適切な、啓蒙的な筆致と構想とを備へてゐた。而も、夙に歡び迎へられた「遊仙窟」は、仙女との間の情痴を描寫したものである。書物よりの影響は勿論、日本の文人を動して、奈良朝に出入して、既に浦島子傳・柘枝傳に辿々しい模倣の筆つきで、我が國固有の神女・人間婚合の物語を書
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