を改めなかつたけれど、段々人としての意識を主客共に持つ樣になつた。顯宗紀の室壽詞《ムロノヨゴト》に「いで、常世たち」と賓客たちに呼びかけてゐるのは、齡の久しい人と言ふ樣にもとれる。勿論、さうした祝福をこめた詞ではあるが、古代からまれびと[#「まれびと」に傍線]に對して呼びかけた「常世の神たちよ」と言つた風の固定した常用句が、やはり殘つて居たものと見るべきである。
とこよ[#「とこよ」に傍線]が永久の齡・長壽などの用語例を持つたのは、語の方からも、祖先の靈と言ふ考への上に、よ[#「よ」に傍線]に齡《ヨ》の聯想が働いたからである。常闇の國から、段々不死の國と言ふ風に轉じて行つたのである。而もよ[#「よ」に傍線]と言ふ語には、古代から近代まで、穀物或は其成熟の意味があつた。とこよ[#「とこよ」に傍線]は更に、豐饒或は富みの國なる聯想を伴ふ樣になつた。常世と一つに考へられ易いわたつみの國[#「わたつみの國」に傍線]は、人間の富みの支配者であつた上に、時々潮に乘つて、彼岸の沃肥を思はせる樣な異樣な果實などの流れよることなどがある爲、空想は愈、濃くなり、色どられて行く。
かうした展抒は、藤原朝以前
前へ 次へ
全92ページ中87ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング