と考へ、又ある地方では、恐るべく、併し自分の村に對する好意は豫期することの出來る魔物とし、或は無力・孤獨な小人を神と思ひ、或は群行する神の一隊を聯想したりして來た。而も青蟲の類をすら、此神の姿とするものもあつた。行疫神をも、此神の中にこめて見る觀察も行はれて來た。
おとづれ[#「おとづれ」に傍線]が頻繁になつて、村の公事なる祭りでなく、一家の私の祝福にも、常世神が臨む樣になる。殊に村君の大家《オホヤケ》の力が増せば、神たちは其祝福の爲に、度々神の扮裝をせねばならぬ。其以外の小家でも、神の來臨を請ふこと頻りになつて來る。
酒は旅行者の魂に對する占ひの爲に釀されたものだが、享樂の爲に用ゐる時にも、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]はせねばならぬ。壽詞は昔ながらで、新釀《ニヒツク》りの出來のよい樣に唱へると言つた形をとつて來るわけである。家々の婚禮にも神が臨み、新室開きにも神が迎へられる。釀酒にも、新室にも、神の意識は自他倶に失はれて了うた。とようかのめ[#「とようかのめ」に傍線]にことゞふ神は、夙く大刀うち振ふ壯夫と考へられ、家あるじ[#「家あるじ」に傍線]の齡をほぐ神は、唯の人間としての長上の
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