の大殿祭は、一年に數囘あつて、神と天子とにへ[#「にへ」に傍線]を共にし給ふ時の前提條件として、必、行はれることになつて居た。大殿祭によつて淨められた殿舍において、恆例の儀式が始まる訣である。だが、此祭り自體が「祓《ハラ》へ」ではなくて、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]であつた。祓へは勿論、ほかひ[#「ほかひ」に傍線]から分化した作法なのは明らかであるが、大殿祭の場合、祓へを主體と見る事は出來ない。後世こそ「神人相甞」の儀が主となつて、大殿祭は獨立した祭りとは思はれない姿をとつて居るが、以前は二者一續きの行事か、或は寧、殿ほかひ[#「殿ほかひ」に傍線]の方が主部をなし、にへ[#「にへ」に傍線]の方は附屬部の方であつたかも知れない。まれびと[#「まれびと」に傍線]を迎へる爲の洒掃と考へるのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]の本義をとり違へて居る。ほかひ[#「ほかひ」に傍線]の結果、祓への效力を生じさせるのは、まれびと[#「まれびと」に傍線]の威力である。後には專ら、さう解釋して、神を迎へる用意として執り行ふことになつた樣だが、本來の姿は、自ら分たれねばならぬ。
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