させるのであつた。
天子出御の時、發する警蹕の聲は、平安朝では「をし/\」と呼ぶ慣ひであつた。後に、將軍に「ほうほう」、諸侯に「下に/\」を使ふ樣になつた事も事實だ。「ほう/\」は鳥獸を追ふ聲で、人拂ひをするのではなく、此語も古いのであるから、地靈を逐ふ意があつたものであらう。「をし/\」は、天子のこゝに臨ませ給ふ事を示す語であるから、逐ふつもりではあるまい。寧、天子を思ひ浮べさせる歴史的内容を持つた語なのであらう。神武天皇、倭に入られて、兄磯城《エシキ》・弟磯城《オトシキ》に服從を慂めにやられる處に、
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時に烏、其營に到りて鳴きて曰はく、「天つ神の子汝を召す。いざわ/\」と。兄磯城忿りて曰はく、天《アメ》[#(ノ)]壓神《オシカミ》至ると聞きて、吾慨憤する時……。次に、弟磯城の宅に到り……。時に、弟磯城、※[#「りっしんべん+「僕」のつくり」、39−12]然として容を改めて曰はく、臣天[#(ノ)]壓神至ると聞き……。(神武紀戊午年)
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とあるのは、をし[#「をし」に傍線]・おし[#「おし」に傍線]假名遣ひの違ひはあるが、同系の語ではなから
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