ら、第二位の座に客は坐るものと考へられたことは、農村の家々に、眞の賓客と稱してよい者の、容易には來るものでなかつた事を示して居る。
正當に賓客と稱すべき貴人の光來の榮に接することになつたのは、凡、武家時代以後、次第に盛んになつたことゝ觀察せられる。武家は、久しい地方生活によつて、親方・子方の感情が、極めて緻密であつた。中央には、傳承が作法を生んで、久しい後までも、わりあひ自由に親密を露すことが出來た。其で、武家が勢力を獲た頃になると、中央であつたら大事件と目せられねばならない樣な臣家訪問の事實が、急に目につき出したのである。下尅上の恐怖が感じられる樣になると、懷柔の手段と言ふ意味も含められて、愈流行した。其結果、賓客と連帶して來たまれびと[#「まれびと」に傍線]なる語は、到底、上代から傳へた内容を持ちこたへることが出來なくなつたのである。六國史を見ても、さうである。天子の臣家に臨まれた史實は、數へる程しかない。公式と非公式とでは違ふであらうが、内容にも屡あり得べきことではなかつた。
上官下僚の關係で見ても、さうだ。非公式には多少の往來を交して居さうな人々の間にも、公式となると、こと/″
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