て、賓客をあしらふ方式を胎んで來た次第まで説き及ぼすことが出來れば、望外の欣びである。
てつとりばやく、私の考へるまれびと[#「まれびと」に傍線]の原の姿を言へば、神であつた。第一義に於ては古代の村々に、海のあなたから時あつて來り臨んで、其村人どもの生活を幸福にして還る靈物を意味して居た。
まれびと[#「まれびと」に傍線]が神であつた時代を溯つて考へる爲に、平安朝以後、近世に到る賓客饗應の風習を追憶して見ようと思ふ。第一に、近世「客《キヤク》」なる語が濫用せられて、其訓なるまれびと[#「まれびと」に傍線]の内容をさへ、極めてありふれたものに變化させて來たことを思はねばならぬ。大正の今日にも到る處の田舍では、ゐろり[#「ゐろり」に傍線]の縁の正座なるよこざ[#「よこざ」に傍線](横座)を主人の座とし、其次に位する脇の側を「客座《キヤクザ》」と稱へて居る。此は客を重んじ慣れた都會の人々には、會得のいかぬことである。併し田舍屋の日常生活に訪ふものと言へば、近隣の同格或は以下の人たちばかりである。若したま[#「たま」に傍点]に同等以上の客の來た時には、主人は、横座を其客に讓るのが常である。だか
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