たが、實はやはり靈代であつたのだ。
鏡餅の如きも、神に供へる形式をとつては居ない。大黒柱の根本に此を据ゑて、年神の本體とする風、又、名高い長崎の柱餅などの傳承を見ると、どうしても供物ではなく、神體に近いものである。盆棚の供物と似た「食ひつみ」を設ける地方では、餅・飯を以て靈代とする必要がなかつた。他の農作物或は山の樹木を以て表すことが出來た。其故、固陋に舊風を墨守した村又は家では、正月餅を搗かぬ傳承を形づくつたのである(民族第一卷第二號)。

      八 ことほぎ[#「ことほぎ」に傍線]とそしり[#「そしり」に傍線]と

ことほぐ神[#「ことほぐ神」に傍線]と、そしる神[#「そしる神」に傍線]とに就ては、既に述べた。さうして、藝術の芽生えがおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]の手で培はれた事を斷篇的には述べて置いた。此に就て、今少し話を進める方が、靈とおとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]との關係を明らかにするであらう。
先島列島のあんがまあ[#「あんがまあ」に傍線](沖繩の村芝居)に似た風習が、沖繩本島にある。田畠のはじめの清明の節に行はれることで「村をどり」と言ふのが、此である。
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