「あんがまあ」に傍線]は「母小《アモガマ》」で、がま[#「がま」に傍線]は最小賞美辭である。而も、沖繩語普通の倒置修飾格と考へる事が出來るから、「親しい母」と言ふ位の意を持つ。即、我が古代語の「妣《ハヽ》が國」に適切に當るのである。此も後に説くが、「妣《ハヽ》が國」も、海のあなたにあるものとして居たことは疑ひがない。我が國に多い「あくたい祭り」、即、有名な千葉笑ひ・京五條天神の「朮《ウケラ》祭り」の惡口・陸前鹽竈のざっとな[#「ざっとな」に傍線]・河内野崎觀音詣での水陸の口論の風習の起りは、此處にあるのである。
そしる[#「そしる」に傍線]と言ふ語は、古くさゝやく[#「さゝやく」に傍線]と言ふ内容を持つたに過ぎぬが、人の惡口を耳うちすると言ふ風に替つたのは、此邊に理由があるのではないか。そしる[#「そしる」に傍線]は日・琉に通じる古語で、託宣する事である。託宣はさゝやかれる[#「さゝやかれる」に傍線]のが本式であつた。ところが、一方へ分化したのは、託宣の形を以て、人の過ち・手落ちを誹謗することが一般に行はれた處から、そしる[#「そしる」に傍線]の現用々語例が出來たものであらう。
八重山
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