の村々で見ても、今こそ一村一族と言ふものはなくなつて、大抵、數個の門中からなつて居るが、古い形は大體一つの門中を以て、村を組織して居たのであるから、一つのあんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]が、村中のどこの家にも迎へられることの出來る訣はわかる。さうした祖《オヤ》の精靈の、時あつて子孫の村屋に臨み、新しい祝福の辭を述べると共に、教訓・批難などをして行つた古代の民間傳承が、段々神事の内容を持つて來る事も考へにくゝはない。
内地の祭禮の夜にあくたい[#「あくたい」に傍線]の伴ふ事があるのは、悠遠な祖先の邑落生活時代に村の死者の靈の來臨する日の古俗を止めて居るのである。勿論、我が國農村に近世まで盛んに行はれた村どうしの競技に、相手の村を屈服させることが、おのが村の農作を豐かにするとしたかけあひ[#「かけあひ」に傍線]・かけ踊り[#「かけ踊り」に傍線]の側の形式をとり込んでゐるのであらうが、主としての流れは、祖靈のそしり[#「そしり」に傍線]にある事と思ふ。一村が一族であるとしたら、子孫の正系が村君である。祖靈が、村の神人の口に託して、村君のやり口を難ずる事があつたとしたら、此を咎める事も出來
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