追ひに來るのも、小正月までの事である。又、同期間に亙つて、江戸の中頃までは、懸想文うりが出た。此は、祇園の犬神人《イヌジンニン》の專業であつた樣だから、常陸帶同樣、當年一杯に行はるべき氏人の結婚の豫言と見るのが適當である。さすれば、鹿島の「言觸《コトフ》れ」の原義も辿る事が出來よう。其外にも生計上の豫言が含まれて居る。
鳥追ひの女太夫ばかりでなく、室町・聚樂の頃までは、年頭祝言に出る者に桂女《カツラメ》があつた。將軍家の婚禮にも、戰爭の首途にも、祝言を唱へに來た。桂女《カツラメ》は、巫女から出て、本義は失ひながら、まだ乞食者にも藝人にも落ちきつて居ないものである。女で尚、ある時期を主とする乞食者に「姥等《ウバラ》」がある。此は、白河に居た者で、師走に專ら出る者であつた。上に列擧した者は、大抵門口から還るのだが、萬歳・桂女は、深く屋敷に入り、座敷までも上つて居る。
かうした職業者以外で言ふと、十月から既に來春を豫祝する意で、玄猪の行事がある。此夜は、村の子どもが群をなして、屋敷に自由に入つて來て、地を打ち固める形式をするが、共通の樣である。多くの地方で、海鼠を以て、※[#「鼬」の「由」に
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