の名を傳へて居る。而も沖繩本島の西北の洋中にある伊平屋《イヘヤ》列島にも、古く此樂土の名を傳へてゐたことを思へば、偶發したものとは考へられない。まや[#「まや」に傍線]を沖繩語「猫」に用ゐるところから、猫の形をした神と考へて居る村もあるのは、却つて逆で、まやの國[#「まやの國」に傍線]から來た畜類と言ふ事なのであらう。蒲葵《クバ》の葉の簑笠で顏姿を隱し、杖を手にしたまやの神[#「まやの神」に傍線]・ともまやの神[#「ともまやの神」に傍線]の二體が、船に乘つて海岸の村に渡り來る。さうして家々の門を歴訪して、家人の畏怖して頭もえあげぬのを前にして、今年の農作關係の事、或は家人の心を引き立てる樣な詞を陳べて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る。さうした上で、又、洋上遙かに去る形をする。つまりは、初春の祝言を述べて歩くのである。
此は勿論、其村の擇ばれた若者が假裝した神なのである。村人の中、女及び成年式を經ない子供には絶對に知らせない祕密で、同時に状を知つた男たちでも、まやの神[#「まやの神」に傍線]來訪の瞬間は眞實の神と感じ、まやの神[#「まやの神」に傍線]自身も神としての自覺の上に活いて居る樣である。此樣に大切な神にも拘らず、村によつては猫の怪物と聯想して居ると言ふ風に、どこかに純化しきつた神とは言はれぬ點を交へて居る。かうして見ると、なもみはげたか[#「なもみはげたか」に傍線]との隔りは、極めて纔かなものになつて來るのである。
おなじ八重山群島の中には、まやの神[#「まやの神」に傍線]の代りににいる[#「にいる」に傍線]人《ピツ》を持つて居る地方も、澤山ある。蛇の一種の赤また[#「赤また」に傍線]、其から類推した黒また[#「黒また」に傍線]と言ふのと一對の巨人の樣な怪物が、穗利《フウリイ》祭に出て來る。處によつては、黒また[#「黒また」に傍線]の代りに、青また[#「青また」に傍線]と稱する巨人が、赤また[#「赤また」に傍線]の對に現れるのもある。此怪物の出る地方では、皆、海岸になびんづう[#「なびんづう」に傍線]と稱へる岩窟の、神聖視せられて居る地があつて、其處から出現するものと信じて居る。なびんづう[#「なびんづう」に傍線]は、巨人等の通路になつて居るのだ。
にいるすく[#「にいるすく」に傍線]と言ふ處が、巨人の本處であると考へて、多くの人は海底にあると説く。にいる[#「にいる」に傍線]は奈落で、すく[#「すく」に傍線]は底だと言ふが、にいる[#「にいる」に傍線]は明らかに別の語である。にこらい・ねふすきい[#「にこらい・ねふすきい」に傍線]氏の考へでは、すく[#「すく」に傍線]も底ではなく、此群島地方で、底をすく[#「すく」に傍線]と言ふ事はない。やはり壘・村・國を意味して居るさうだ。つまり、にいる國[#「にいる國」に傍線]と言ふ事になる。ぴつ[#「ぴつ」に傍線]は人であるが、一種の敬意を持つた言ひ方で、靈的なものなる事を示して居るのである。
にいる人[#「にいる人」に傍線]の行ふ事は、一年中の作物の豫祝から、今年中の心得、又は昨年中、村人の行動に對する批評などもある。村人の集つて居る廣場に出て踊り、其後で家々を歴訪すること、及び其に對する村人の心持ちは、まやの神[#「まやの神」に傍線]と同樣である。
にいる人[#「にいる人」に傍線]の出る地方の青年には、又、酉年毎に成年式が執り行はれる。一日だけではあるが、かなりの苦行を命じられる儘にせなければならない。まやの國[#「まやの國」に傍線]から來る神と、にいるすく[#「にいるすく」に傍線]から來る靈物との間に違ふ點は、形態の差異だけしかない訣であるが、にいる人[#「にいる人」に傍線]の方が、村の生活・村の運命との交渉が緻密である樣に見える。此巨人も、擇ばれた若者たちが、一體につき二人づゝ交替に這入ることになつて居る。其を男たちは知つて居て、而も敬虔感は失はないのである。
にいるすく[#「にいるすく」に傍線]は、海底か洋上か、其所在、頗、曖昧であるが、此は後に説くとして、先島の人々は、にいるすく[#「にいるすく」に傍線]を恐しい處と考へて居ることは、事實である。暴風もにいるすく[#「にいるすく」に傍線]から吹くと考へて居る。此は洞窟を以て、風伯の居る所とし、其海岸にあるものは、黄泉への通路として居る世界的信仰と脈絡があるのである。風とにいる[#「にいる」に傍線]との關係に就ては、沖繩本島でも、風|凪《ナ》ぎを祈るのに、にらいかない[#「にらいかない」に傍線]へ去れと唱へるので訣る。にいる[#「にいる」に傍線]を風の本據と見て居る證である。
にらいかない[#「にらいかない」に傍線]は、言ふまでもなく、にいる[#「にいる」に傍線]と同じ語で、かない[#「かない」に傍線]は對句
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