だ。一年に一度刈り上げる國土に來ても、固定した信仰行事の上では、二秋《フタアキ》の舊郷土の俤を殘したものらしい。
支那及び其影響を受けた民族の將來してゐた傳承では、めぐり神[#「めぐり神」に傍線]の畏怖は、まだ具體的にはなつて居ない。が、守護神の眼の屆かぬ季節交替期、所謂ゆきあひ[#「ゆきあひ」に傍線]の頃を怖れる心持ちが、深く印象せられた。我が民族の中心種族の間にも、時の替り目に魂の漂《ウカ》れ易い事を信じて居た。其が合體して、五節供其他の形代を棄てる風が、段々成長して來た。日本に於ける陰陽道は、其道の博士たちの學問が正道を進んで居た間さへ、實行方面は歸化種の下僚の傳説的方式――必、多くの誤傳と變改とを含んだ筈の――をとり行はしめた。宮中或は豪家・官廳の在來の儀式に、方術を竝べ行ひ、又時としては佛家の呪術をさへ併せて用ゐる樣なことがあつた。其間に、呪術の目的・方法・傳説さへ混亂する樣になつた。七夕の「乞巧奠《キツカウテン》」の如き、「盂蘭盆會」の如き、「節折《ヨヲ》り」の如き、皆、鎭魂・魂祭り・祓除・川祭りの固有の儀禮に、開化した解説と、文明的な――と思はれた――方式の衣を着せたものであつた。
かうした變化法・吸收法を以て、外來の傳承に融合して行つたものである。だから、季節毎の畏怖を鎭魂又は祓除によつて、散却してゐた。勿論、上巳・端午には、支那本土でも、祓除の意味があつたのだが、我が國では、節分にも、七夕にも、盂蘭盆にも、八朔にも、玄猪にも、更に又、放生會にすらも、此側から出た痕跡が明らかに見えてゐる。
鎭花祭《ハナシヅメマツ》りには、多少外來種の色彩が出てゐるが、やはり魂ふり[#「魂ふり」に傍線]に努めた古風が、少分の外種を含んで出たのである。寧、歸化種の人々に及んだ影響が、あゝして現れたと見るべきであらう。二度の大祓へに伴ふ鎭魂や、上巳・端午の雛神や、盆・七夕の精靈に對してする「別れ惜しみ」の式などは、芻《スウ》靈や死靈の祭り以外に、生きみ魂[#「生きみ魂」に傍線]の鎭魂の意味が十分に殘つてゐるのである。
名は同化せられて行つて、上邊《ウハベ》は變化しながら、實は固有種と違つた意味に育たしめるのが、我が民族の外來文化に接觸の爲方であつた。だから、常識化し、傳説を紛らした道教の方式にたやすく結合して、傳承を伸して行つた。其で上元の外に、中元を考へ、季節の祓除・鎭
前へ 次へ
全46ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング