。だから、甚稀に賓客が來ることがあると、まれびと[#「まれびと」に傍線]を遇する方法を以てした。此が近世になつても、賓客の待遇が、神に對するとおなじであつた理由である。だが、かう言うては、眞實とは大分距離のある言ひ方になる。まれびと[#「まれびと」に傍線]が賓客化して來た爲、賓客に對して神迎への方式を用ゐるのだと言ふ方が正しいであらう。まれびと[#「まれびと」に傍線]として村内の貴人を迎へることが、段々意識化して來た爲に、そんな事が行はれたのだ。今までの敍述は、まれびと[#「まれびと」に傍線]の輪廓ばかりであつた。此からは其内容を細かに書いて見たい。
まれびと[#「まれびと」に傍線]の來る時期はいつか。私は定期のおとづれ[#「おとづれ」に傍線]を古く、臨時のおとなひ[#「おとなひ」に傍線]を新しいと見てゐる。不時に來臨するのは、天神或は地物の精靈の神としての資格が十分固定した後に、其等の神々の間にあつたことである。其がまれびと[#「まれびと」に傍線]の方に反映したものと思はれるから、まづ春の初めに來ると考へたであらう。まれびと[#「まれびと」に傍線]の來ることによつて年が改まり、村の生産がはじまるのであつた。我が國では、年の暮れ・始めにおとづれ來る者のなごりは、前に述べたとほり數へきれないほどありながら、其形式は變り過ぎる程に變化した。抽象的な畏ればかりは妖怪となり、現實のまゝ若い衆自身々々を露はにする樣な行事にもなり、其が職業化し、藝術化した。さうして、其神祕な分子は、神となつて跡の辿られぬまでになつてゐる。此は歳徳神と陰陽道風に言ひ表されてゐる年神なのである。此神は、神道以外――寧、神道以前――の神である爲、記・紀其他に其名も見えない。大年神・御年神を此だとする説はあるが、まだ定らない。私は寧、出雲系統の創造神らしい形に見えるかぶろぎ[#「かぶろぎ」に傍線]・かぶろみ[#「かぶろみ」に傍線]の神々が、此に當るのではないかと考へて居る位である。此事は後に述べる。
年神の前身である春のおとづれ[#「春のおとづれ」に傍線]をするまれびと[#「まれびと」に傍線]は、老人であつて、簑笠を着た姿の、謂はゞ椎根津彦・乙猾とおなじ風で來り臨んだらうと云ふ推定は出來る。これが社々の年頭の祭事にとりこまれて、猿田彦・鈿女[#(ノ)]命の田植ゑ神事となつて居る。老人を一體と見たのは、
前へ 次へ
全46ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング