かえて「偃」のつくり、18−5]鼠を逐ふ儀式と信じて居る。大晦日・節分の厄拂ひも、若い衆が行ふ地方はまだある。而も、厄拂ひに似て居て、意義不明なほと/\[#「ほと/\」に傍線]・とのへい[#「とのへい」に傍線]・こと/\[#「こと/\」に傍線]など言ふ簡單な唱へ言をして、家々の門戸を歴訪し、中には餅錢などを貰ひ受け、或は不意の水祝ひ[#「水祝ひ」に傍線]を受けて、還るのもある。皆恐らくおとづれる戸の音の聲色を使ふのであつて、ほと/\[#「ほと/\」に傍線]と言つた古言で、おとなひ[#「おとなひ」に傍線]を表した時代から固定した唱文であり、儀式であつたのであらう。
小正月或は元日に、妖怪の出て來るのは、主として奥羽地方である。なもみはげたか[#「なもみはげたか」に傍線]・なまはげ[#「なまはげ」に傍線]・がんぼう[#「がんぼう」に傍線]・もうこ[#「もうこ」に傍線]など言ふ名で、通有點は簑を著て、恐しい面を被つて、名稱に負うた通りの唱へ言、或は、唸り聲を發して家々に踊りこんで、農村生活に於ける不徳を懲す形をして行くのである。私は、地方々々の民間語原説はどうあらうとも、なま[#「なま」に傍線]・なもみ[#「なもみ」に傍線]は、玄猪の「海鼠」と語原を一つにしたもので、おとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]の名でなくば、其目的として懲らさうとする者の稱呼ではないかと思ふ。さうでなくば、尠くとも、我が古代の村々の、來向ふ春の祝言の必須文言であつたとだけは言はれよう。此妖怪、實は村の若い衆の假裝なのである。村の若者が人外の者に扮して、年頭の行事として、村の家々を歴訪すると言ふのは、どう言ふ意味であらうか。何にしても、不得要領なほと/\[#「ほと/\」に傍線]と同じ系統で、まだ其程に固定して居ないものだと言ふ事は知れる。

      五 遠處の精靈

村から遠い處に居る靈的な者が、春の初めに、村人の間にある豫祝と教訓とを垂れる爲に來るのだ、と想像することは出來ぬだらうか。簑笠を著けた神、農作の初めに村及び家をおとづれる類例は、沖繩縣の八重山列島にもあちこちに行はれてゐる。
此おとづれ人[#「おとづれ人」に傍線]の名をまやの神[#「まやの神」に傍線]と言ふ。まや[#「まや」に傍線]は元來は國の名で、海のあなたにある樂土を表す語らしい。臺灣土民の中にも、阿里山蕃人は、神話の上に此樂土
前へ 次へ
全46ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング