て居たのなら、子代部《コシロベ》・名代部《ナシロベ》の民を立てる樣な方法は採らなかつたであらう。
國と稱する邑々が、國名を廢して郡で呼ばれる樣になつても、邑の人々は、尚、國の音覺に執着した。私に國を名のり、又は郡を忌避して、縣《カタ》を稱して居た。其領主なる國造等は、郡領と呼び易へる事になつても、なほ名義だけは、國造を稱へて居たのが、後世までもある。けれども、さうした國造家は、神主として殘つたものに限つて居る。邑々の豪族は、神に事へる事によつて、民に臨む力を持つて居た。其國造が、段々神に事へる事から遠ざかつても、尚、神主《カムヌシ》として、邑の大事の神事に洩れる事が出來なかつた。さういふ邑々を一統した邑が、我々の倭朝廷であつたのである。
一つの邑の生活が、次第に成長して、一國となり、更に、數國數十个國の上に、國家を形づくる事になつた。こんなにまで、所謂國造生活が擴つても、やはり他の邑の國造とおなじく、神事を棄てゝ了ふ訣にはいかなかつた。今もさうである樣にある時期には、神主としての生活が、繰り返されねばならなかつた。古い邑々の習慣が、祖先禮拜の觀念に結びついて、現に、宮中には殘つて居るの
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