から游離して、漂泊伶人としての職業が、分化して居た樣に見える。
落伍した神人は、呪術・祝言其他の方便で、口を養ふ事は出來る。かうして、家職としての存在の價値を認めない、よその邑・國を流浪してゆくとなると、神に對しての敍事詩と言ふ敬虔な念は失はれて、興味を惹く事ばかりを考へる。神事としての墮落は、同時に、藝術としての解放のはじめである。かう言ふ人々が、奈良から平安になつても、幾度となく浮浪人の扱ひは受けないで、田舍わたらひ[#「田舍わたらひ」に傍線]をした事と思ふ。併し、今一方、呪言系統の文藝の側にも、かうした職業の發達して來る種はあるのである。
「神言」に今一つの方面がある。神が時を定めて、邑々に降つて、邑の一年の生産を祝福する語を述べ、家々を訪れて其家人の生命・住宅・生産の祝言を聞かせるのが常である。此は、神の降臨を學ぶ原始的な演劇に過ぎない。
以前、私の考へは、呪言と敍事詩とを全く別な成立を持つものとしての組織を立てゝ居た。其は生産其他を祝福しに來る神の託宣と、下の事實とを關聯させないで居た爲であつた。
生命・生産を祝福する神の語が、生産物に影響を與へると言ふ觀念が、一轉して人間の
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