である。さうして其口は十分な律文要素が加つて居た。全體、狂亂時・變態時の心理の表現は、左右相稱を保ちながら進む、生活の根本拍子が急迫するからの、律動なのである。神憑りの際の動作を、正氣で居ても繰り返す所から、舞踊は生れて來る。此際、神の物語る話は、日常の語とは、樣子の變つたものである。神自身から見た一元描寫であるから、不自然でも不完全でもあるが、とにかくに發想は一人稱に依る樣になる。
昂ぶつた内律の現れとして、疊語・對句・文意轉換などが盛んに行はれる。かうして形をとつて來る口語文は、一時的のものではある。併し、律文であり、敍事詩である事は、疑ふ事が出來ない。此神の自敍傳は、臨時のものとして、過ぎ去る種類のものもあらう。が、種族生活に交渉深いものは、屡くり返されて居る中に固定して來る。此敍事詩の主なものが、傳誦せられる間に、無意識の修辭が加る。口拍子から來る記憶の錯亂もまじる。併しながら、「神語」としては、段々完成して來るのである。
文章としての律要素よりも、聲樂としての律要素の方が、實は此「神語」の上に、深くはたらきかけて居た。律語の體をなさぬ文も、語る上には曲節をつける事が出來る。此曲節に乘つて、幾種類もあつた「神語」が巫覡の口に傳つて、其相當の祭り・儀式などに、常例として使はれて來た。つまりは、團體生活が熟して來て、臨時よりも、習慣を重んずる事になつたからなのだ。
郡ほどの大きさの國、邑と言うてもよい位の國々が、國造・縣主の祖先に保たれて居た。上代の邑落生活には、邑の意識はあつても、國家を考へる事がなかつた。邑自身が國家で、邑の集團として國家を思うても見なかつた。隣りあふ邑と邑とが利害相容れぬ異族であつた。其と同時に、同族ながら邑を異にする反撥心が、分岐前の歴史を忘れさせた事もあらう。
かう言ふ邑々の併合の最初に現れた事實は、信仰の習合、宗教の合理的統一である。邑々の間に嚴に守られた祕密の信仰の上に、靈驗あらたなる異族の神は、次第に、而も自然に、邑落生活の根柢を易へて行つたのである。飛鳥朝以前既に、太陽を祀る邑の信仰・祭儀などが、段々邑々を一色に整へて行つたであらう。邑落生活には、古くからの神を保つと共に、新に出現する神を仰ぐ心が深かつたのである。
單に太陽神を持つて居た邑ばかりでなく、他の邑々でも、てんでに發生した事實もあらうが、多くはかうして授けられたらうと
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