國文學の發生(第一稿)
呪言と敍事詩と
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)語部《カタリベ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|憑《ガヽ》り
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1−84−54]
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)八千矛[#(ノ)]神
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一
日本文學が、出發點からして既に、今ある儘の本質と目的とを持つて居たと考へるのは、單純な空想である。其ばかりか、極微かな文學意識が含まれて居たと見る事さへ、眞實を離れた考へと言はねばならぬ。古代生活の一樣式として、極めて縁遠い原因から出たものが、次第に目的を展開して、偶然、文學の規範に入つて來たに過ぎないのである。
似た事は、文章の形式の上にもある。散文が、權威ある表現の力を持つて來る時代は、遙かに遲れて居る。散文は、口の上の語としては、使ひ馴らされて居ても、對話以外に、文章として存在の理由がなかつた。記憶の方便と云ふ、大事な要件に不足があつた爲である。記録に憑ることの出來ぬ古代の文章が、散文の形をとるのは、時間的持續を考へない、當座用の日常會話の場合だけである。繰り返しの必要のない文章に限られて居た。ところが、古代生活に見えた文章の、繰り返しに憑つて、成文と同じ效果を持つたものが多いのは、事實である。律文を保存し、發達させた力は、此處にある。けれども、其は單に要求だけであつた。律文發生の原動力と言ふ事は出來ぬ。もつと自然な動機が、律文の發生を促したのである。私は、其を「かみごと」(神語)にあると信じて居る。
今一つ、似た問題がある。抒情詩・敍事詩成立の前後に就てゞある。合理論者は抒情詩の前出を主張する。異性の注意を惹く爲とする、極めて自然らしい戀愛動機説である。此考へは、雌雄の色や聲と同じ樣に、詩歌を見て居る。純生理的に、又、原始的に考へる常識論である。其上、發生時に於て既に、ある文學としての目的があつたらしく考へるからの間違ひである。律文の形式が、さうした目的に適する樣に、ある進歩を經てから出來て來た目的を、あまり先天的のものに見たのだ。
わが國にくり返された口頭の文章の最初は
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