す[#「あるぢやす」に傍線]にかい[#「かい」に傍線]が添はる。このかい[#「かい」に傍線]は、さるかい[#「さるかい」に傍線]と言へば、「さうあるんですから」と言ふ様な意味で、これがあるぢやす[#「あるぢやす」に傍線]に添つて、あるぢやすかい[#「あるぢやすかい」に傍線]・あつたすかい[#「あつたすかい」に傍線]と言ふ形が出来て来て、だん/\使つてゐる中に、さかい[#「さかい」に傍線]と言ふ言葉が、独立してしまふ。そして、どの言葉の終止形にでもつけて言ふ事が出来る。だから私はさかい[#「さかい」に傍線]と言ふ言葉は敬語と断定していゝと思ひます。敬語で、敬語の形式を失つたものとかう思つてをります。
実はこの方言の事も訓詁解釈との関係に就いても申さなければなりません。沢山問題もありますし、興味のある事ですが、この教育会の催しだと殊にその方面に触れて行つた方が、目的に叶ふのだと思ふのですけれども、どうも私の話下手がいらぬ事ばかり喋りまして、肝腎の問題を外らしてしまひました。申し訣ない事だと思ひます。兎も角も、国語にも未だ問題が沢山ございまして、世間の学者等が正しいと認めてゐる事も本当に正し
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