本紀に書いてある様な、そこへ行つた賢い人が、そんな事を言つて仮説を与へた訣ではないと思ふのです。この言葉を古い説では、可愛いと思ふと言ふ風に説いてゐる説もありますが、それはよく訣らぬが、兎に角、「於母亦兄、於吾亦兄云々」と言ふ事は、後には西鶴なんかも書いてゐるのですけれども、お母さんにも兄さん、私にも兄さんと言ふのですから、お母さんの兄さんなら、お母さんのお父さんの子供に違ひない。私にも兄さんと言ふ以上には、自分のお父さんの子なのに違ひない。さうして自分の亭主だ、と言ふのですから、この女は自分の兄さんと結婚したと言ふ事は訣る。同時にその亭主でもあるところの自分の兄貴が、母親の兄貴でもあると言ふことにもなるのです。つまり、血族結婚の非常に複雑な事を示してゐるので、お祖父さんが複雑な結婚をしてゐると言ふ事になるのでせう。これを表に作つて見ると、色々な関係が出来て来るのですけれども、お祖父さんに原因があると言ふ事は、一番確な事でせう。つまり、「母にもせ[#「せ」に丸傍点]、我にもせ[#「せ」に丸傍点]、若草我つまはや。」と言ふのは諺なのです。此諺が何時起つたかと言ふ事は訣らぬけれども、兎に角
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