ニタヽシテ》」と言ふ文句があるのです。高千穂の峯に来られた時の事で、日本紀では、だいぶ合理化されて書かれてゐる様です。つまり、ふわ/\した処に降りて来られた事にして、書いてゐるらしいのです。一番自分達の感じに近い様に、「浮渚《ウキニマ》り平なる処に立たして」と書いてあります。さう書いた処で訣らないのですが、日本紀にはまう一つ又別の、又古事記にも別の伝へがある。兎も角、これは諺だつたのです。それ等がさう言ふやうに覚えられてをつた。何故か訣らぬけれども、兎に角、昔から覚えてをつた。だから、失ふことの出来ないもので、伝へてをつた。伝へてはをつたけれども訣らないから、だん/\変つて行き、幾重にも伝へが変つて来る。
ところが、そんなものばかりではありません。諺も、必ず、一つの問題を含んでゐると言ふ形のものが出来て来る。常陸風土記で見ると、諺は多くは枕詞です。つまり、その地方で言ひ伝へてゐる重要な言葉と言ふことらしい。ところがその時分の京都の方では、全体にさう考へてをつたか訣らぬけれども、古事記や日本紀を通じて見ますと、まう少し違つて、一種の落し話の前形みたいな形をもつて来てゐる。
ある名高い話で
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