す。それは、私は少くとも強いことが言へると思ひます。と言ふのは、平安朝の物語、日記の言葉の索引をとつた事があります。それは何の為にとつたかと言ふと、民俗学的の材料があるかと言ふ事と、それから、私は又一方に、言語の興味を非常にもつてをりますから、その言語の歴史を調べる意味でゞあります。大体二つの意味からとつたのですけれども――人にとつて貰つたんですけれど――今日それは殆ど、役にたちません。自分で役にたてないでゐるものもありますのですけれど、平安朝の語彙が如何に貧弱であるかと言ふ結論は、出してもいゝと思ひます。非常に貧弱です。あれだけの書物があるから、どんなに語彙が豊だらうと思ふかも知れませんけれど、全然反対です。殊に民俗学に関する材料は非常に少い。少いものを我々は料理しすぎる。ですから、そのうちから出来るだけ生かして来て使ふやうにと、かうしてゐる訣です。
平安朝の言葉にわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言ふ言葉があります。瘧のことをわらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言つたのは疑ひない。はつきり、瘧に違ひないのです。併し、それを何故わらはやみ[#「わらはやみ」に傍線]と言ふのかと、
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