すね。それが、或言葉が出て来ると言ふと、その中に這入つて来るんでせう。さう言ふとなんか、非常に抽象的な話し方になつて、具合が悪いですが、兎に角、さうしてはいから[#「はいから」に傍線]と言ふ言葉を使つてゐるうちに、昔の考へ方が復活して来る訣です。つまり、昔のかぶき[#「かぶき」に傍線]と言ふ言葉と、非常に似た内容を持つて来たんですね。さう言ふ風に、言葉と言ふものはだん/\変遷して、このいとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふ言葉と、いたはし[#「いたはし」に傍線]と言ふ言葉とが歩み寄ると、その中間の意味と言ふものが出来て来る。それが今日の我々になると、どう訳して良いか訳すべき言葉がない。ごく、無感興に、訓詁解釈を行ふ人は、いとほし[#「いとほし」に傍線]と言ふ言葉は、大抵、いとしい[#「いとしい」に傍線]と言ふ意味に訳して、どうも為様《シヤウ》のない時にはいとはし[#「いとはし」に傍線]と言ふやうな、嫌だ、嫌ひだと言ふやうに訳す。それよりほか方法がなくなつてしまつてゐる。
さう言ふ風に、あまつゝみ[#「あまつゝみ」に傍線]と言ふ言葉もやはり同じ言葉か、違つた言葉か訣らない。訣らないけれど
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