。すかい[#「すかい」に傍線]と唯今のさかい[#「さかい」に傍線]と言ふ言葉はなんださかい[#「なんださかい」に傍線]とか、なんぢやさかい[#「なんぢやさかい」に傍線]とか、と言ふ形になればいゝのですけれども、その他の形が色々にある。さかい[#「さかい」に傍線]と言ふ言葉は狂言にも出てをります。能狂言に出てゐると言ふ事は、室町時代の言葉である事の証拠になりません。起源はもつと古いし、狂言の台本と言ふものは、明治初年までだん/\書き変へられて、固定せずにをつたのですから、どの狂言が古いかと言ふ事も訣らない。狂言に出て来る言葉だから室町時代の言葉だと言ふのは以ての外です。ところが、同じ狂言を見ますと、このす[#「す」に傍線]と言ふ言葉を敬語に使つた言葉があるのです。つまり、東京の色町なんかで言ふやうに、ありんす[#「ありんす」に傍線]とか行きいす[#「行きいす」に傍線]とか言ふ、さう言ふ風なのです。敬語の意味のす[#「す」に傍線]があるのです。ところが、敬語を沢山使つてゐる為に、だん/\敬語意識がなくなつて来る。それで今度は形が変つて来る。「あることです」と言ふ、敬語を含んだ意味のあるぢやす[#「あるぢやす」に傍線]にかい[#「かい」に傍線]が添はる。このかい[#「かい」に傍線]は、さるかい[#「さるかい」に傍線]と言へば、「さうあるんですから」と言ふ様な意味で、これがあるぢやす[#「あるぢやす」に傍線]に添つて、あるぢやすかい[#「あるぢやすかい」に傍線]・あつたすかい[#「あつたすかい」に傍線]と言ふ形が出来て来て、だん/\使つてゐる中に、さかい[#「さかい」に傍線]と言ふ言葉が、独立してしまふ。そして、どの言葉の終止形にでもつけて言ふ事が出来る。だから私はさかい[#「さかい」に傍線]と言ふ言葉は敬語と断定していゝと思ひます。敬語で、敬語の形式を失つたものとかう思つてをります。
実はこの方言の事も訓詁解釈との関係に就いても申さなければなりません。沢山問題もありますし、興味のある事ですが、この教育会の催しだと殊にその方面に触れて行つた方が、目的に叶ふのだと思ふのですけれども、どうも私の話下手がいらぬ事ばかり喋りまして、肝腎の問題を外らしてしまひました。申し訣ない事だと思ひます。兎も角も、国語にも未だ問題が沢山ございまして、世間の学者等が正しいと認めてゐる事も本当に正し
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