々な禍をするので、倒歌諷語をもつて御自分達の軍隊を指導して行かれた。すると相手が真似をすれば、相手にはその言葉の通りの効果が現れ、自分が言へば、その言葉の逆の事柄が現れて来ると言ふ、かう言ふ言葉でせう。つまり、相手が言へばその通りの効果が出て、相手は呪はれると言ふ言葉でせう。大抵、昔の言葉には、無条件に言つていゝ言葉と、言つてならない言葉が沢山あつたに違ひない。で、倒歌諷語と言ふものが、果してあつたか、なかつたか訣らぬけれども、神武天皇が大和に入国せられた時、世の中に、かう言ふものがあつたと、後世の人が謎としてゐるのでせう。その謎としてゐる言葉と言ふものが倒歌諷語なんです。兎に角、神武天皇が大和に這入られた事は事実なのですけれども、こまかい事は後世の嘘や想像が、沢山這入つてをりませう。倒歌諷語があつたと言ふ事も、後世にもあつたことで、これが神武天皇の時に始つたと言ふ考へを持つてをつた、とかう思つてよからうと思つてをります。つまり、昔の人の歴史観は、始めて言ひ出したとは、その時起つた事を意味してゐます。今の学者でも、この事件が天皇のこの時にあるので、謎がこの時に起つたと考へる人もありますが、それは悪い。唯、昔の人は、その時始つて以後行はれてゐたと考へた、と見て差支へありません。
つまり、倒歌諷語と言ふのは、さう言ふ合言葉みたいなもので、相手がうつかり真似をすると、相手に呪ひが行くと言ふやうなものでせう。合言葉と言へば言へますが、これに多少謎の匂ひがかゝつてをりますが、謎とは言ひ切れません。だから、昔の人のものゝ言ひ方と言ふものは、自分一人で表現してゐて、自分一人で解釈の表現をするとか、思想を述べるとか言ふ事がございます。さう言ふ事はあり勝ちの事です。あり勝ちの事ですけれども、実際の現象ではない。さう言ふ現象は昔から伝つてをつた型の定つた現象をば、だん/\変形させつゝ、附け足し/\して伝へて来たに過ぎないのです。其一番最初として申しますと、譬へば我々の考へてゐる祝詞のやうなものです。
祝詞のやうなもので非常に古いものが昔ありました。それがだん/\伝へられてゐる中に、目的が分化して来て、色々な祝詞が出来て来ました。それでも、まあ数は少かつた。ところが世の中が進んで来ると言ふと、今度はもつと沢山祝詞を拵へなければならぬ。それで祝詞の新作と言ふ事が行はれます。すると、どう言ふ
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