普通なら切れないのに、玉作りが、予め、引張ると切れる様に腐らしておいたので切れてしまつた。それでその城が焼けて――稲を積んで出来てゐたから――皇后様はおかくれになつてしまはれた。それで、天子様がお怒りになつて、玉作りの土地をお取上げになつた、と言ふ物語ですが、この物語とこの事とに、つながりのある部分は昔の人の空想で出来てゐる。かう言ふ形の諺と言ふものは沢山あるのです。それが平安朝に持ち越されて、平安朝の物語、所謂歌物語と言ふものが出来てをります。その場合には歌と諺とは、殆ど同じに扱はれてをりまして、譬へば、竹取物語をみると、諺の話が沢山出て来るのです。その時からかうなんだと説明がしてある。癪に触つたから持つてゐた鉢をぱつと捨てゝしまつた。それで、その時から「面《オモ》なきことをば、はぢを棄つとはいひける」とかう書いてある。今では洒落にもなんにもならぬけれども、つまり、短い物語と言ふものは、さう言ふものが発達してゐる訣です。かう申して来ると、多分に文学的なところになつて来ますが、文学的な処は切り上げたいと思ひます。

     五 古典の擬古的傾向

先に申しました様に、諺には問と答とではないけれども、それに似た呼応、呼びかけるとそれに応ずると言ふ、条件的の構成がだん/\出来て来まして、それがちやうど、謎とよく似て来てをります。謎と言ふものも、我々には本当に何時頃起つたかと言ふ事は訣らぬ。書物に出て来るのが、まづ平安朝の中頃ですが、平安朝の中頃に起つて、それが卒然と書物に出て来る訣はないでせうから、少くとも平安朝の始め位と推定してよいと存じます。断片的に、似た事柄を並べて行けばいゝと言ふやうな、随筆的な態度から言ひますと、まあ似たものもそれ以前にございます。神武天皇が大和の国に這入られた時に、倒歌諷語と言ふ事が見えてをります。これは対語《ツイゴ》ですが、こんな倒歌諷語と言ふ字面の信用は出来ません。兎に角、逆表現をする。言はうとした事の逆を言ふ。つまり、訣つてゐる同志には訣るけれども、脇の者には訣らない。つまり、合言葉みたいなものでせう。合言葉であつて逆に行くもの、と大体さう考へられます。諷語は暗示する言葉の事です。兎も角も、それを言つてゐる人の意志は表面には出てゐないが、訣る者にはその意味が訣る、と言ふやうな言葉に違ひないのです。大和の国の中に沢山賊がをつて、それが色
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