本紀に書いてある様な、そこへ行つた賢い人が、そんな事を言つて仮説を与へた訣ではないと思ふのです。この言葉を古い説では、可愛いと思ふと言ふ風に説いてゐる説もありますが、それはよく訣らぬが、兎に角、「於母亦兄、於吾亦兄云々」と言ふ事は、後には西鶴なんかも書いてゐるのですけれども、お母さんにも兄さん、私にも兄さんと言ふのですから、お母さんの兄さんなら、お母さんのお父さんの子供に違ひない。私にも兄さんと言ふ以上には、自分のお父さんの子なのに違ひない。さうして自分の亭主だ、と言ふのですから、この女は自分の兄さんと結婚したと言ふ事は訣る。同時にその亭主でもあるところの自分の兄貴が、母親の兄貴でもあると言ふことにもなるのです。つまり、血族結婚の非常に複雑な事を示してゐるので、お祖父さんが複雑な結婚をしてゐると言ふ事になるのでせう。これを表に作つて見ると、色々な関係が出来て来るのですけれども、お祖父さんに原因があると言ふ事は、一番確な事でせう。つまり、「母にもせ[#「せ」に丸傍点]、我にもせ[#「せ」に丸傍点]、若草我つまはや。」と言ふのは諺なのです。此諺が何時起つたかと言ふ事は訣らぬけれども、兎に角、仁賢天皇の時分だと言ふ事になつてゐる。そんな事の歴史上の事実を求めると言ふ我々の類推力と言ふものは、此処で説明しなくてもいゝ事なのです。その後に続いてゐる今の「秋葱の云々」も、つまり、謎の解答みたいなものなのです。「秋葱のふたごもり」ではないけれども、と言ふやうに申して見たらいゝでせう。ごちや/\になつてゐると言ふ事なのでせう。舅と嫁が結婚すると言ふ事を「芋洗ひ」などゝ言ひますが、さう言ふ事に似た感じなんでせう。つまり、諺の解説がついてゐる謎です。
又土地の諺も沢山あります。大抵の場合、かう言ふ歴史上の事実からかう言ふ諺が起つたのだ、と言ふ風に書いてあります。「かれ、何々とぞ言ふ」と言ふ風に書いてあります。玉作りが役に立たぬ玉を差上げたので、天子様がお怒りになつて、玉作りの土地をお奪ひになつた。それで、「地《トコロ》得ぬ玉作り」と言ふのだと言ふやうになつてゐる。そしてそれに就いての説明として、名高い歴史上の事実をずつと使つて来た。垂仁天皇様の皇后がその兄君のお城にお這入りになつた時、子供だけを城からお出しした。その時、その子供と共に、お母さんの手を引張らうとして、玉の緒を引張つたら、
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